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(社)児島青年会議所2009年 理事長所信
2009年理事長 難波靖人
【はじめに】 日本に青年会議所の原点となる組織が誕生して60年、そしてこの児島の地に青年会議所が誕生してから50有余年、戦後間もなくの混沌とした社会からの復興の為、青年会議所が果たしてきた役割は計り知れません。その後右肩上がりの高度経済成長を経て一躍世界の経済大国へ名乗りを上げた我が国日本、1991年に迎えるバブル経済の崩壊まで安定した成長を続けてきました。バブル崩壊後日本経済の「失われた10年」と呼ばれる平成不況、サブプライムローン問題に端を発する米大手投資銀行・証券会社・保険会社等の相次ぐ破綻、米金融危機が世界中に拡散し今まさに100年に1度の世界金融危機を迎えていると言われています。先行きの全く見えない不安だらけの世の中で、JCとして何ができるのか、JAYCEEとして何をすべきなのか、今こそ真剣に考えなければJCの未来はない・・・そんな気がしてなりません。
【JCとして】 本年は、2006年に衆・参本会議で可決された「公益法人制度改革関連3法案」、即ち一般社団・財団法人法、公益法人認定法、関係法律整備法に伴う新制度が施行される最初の年となります。5年間の移行猶予期間はあるものの、公益社団法人としての認定を受けるためには今までのやり方・考え方を抜本的に見直さなければならない部分もあり、非常に大きな労力を費やす必要がある事は間違いありません。ややもすれば移行の過程で直接的に係る人間だけがその意味を理解しているという傾向になりがちですが、そうではなくやはりメンバー全員が公益社団法人とは何か、なぜ公益社団法人を目指すのかを理解し、意志統一をしなければ意味がないと思っています。
「JCって何? JCって何してるの? 商工会議所青年部とは違うの?」 残念ながら未だにこのような声がまちの中で聞こえてくる事があります。現在、多くのNPO団体が混在し、それぞれの観点からまちづくり事業・青少年育成事業を行っており、また企業に関しても自社PRを兼ねた同様の事業を積極的に開催しています。 そのような状況下で我々JCはどのような事業展開をしていくべきなのでしょうか? 一般のNPOや企業と同様の形で事業を行えば良いのでしょうか? 答えは・・・NOです。 時流に迎合し他の団体と同じ様な事業を開催すれば、おそらく批判は少ないでしょう。しかしそこに‘JCらしさ’は存在しません。「公益性」や「費用対効果」ばかりが先行し、枠や形にとらわれすぎて‘JCの可能性’や‘JCらしさ’が失われてしまうのであれば、もはやそこにJCの存在意義さえなくなってしまいます。 つまらない枠や形にとらわれる必要はありません。少々型破りでも良いじゃないですか。我々が先輩方から受け継ぎ心に秘めた‘児島JCプライド’を注入し、「JCにしかできない事業」・「JCだからこそできる事業」を行っていこうではありませんか。
【JAYCEEとして】 JCとして事業を行うにあたり、十分に考慮しなければならない事がいくつもありますが、私の考える最も重要なポイントは、「自分たちがやろうとしている事が本当にまちから求められている事なのかどうか」という事です。JCの内部的な見方・考え方だけで事業を行い、メンバーだけが盛り上がり達成感を得られたとしても、それが本当に求められているものと大きなギャップがあったとしたら、客観的にはただの独りよがりだと判断される危険性を大きく孕んでいます。もちろん、その事業の遂行にあたりJC内部では十分検討され議論の尽くされた内容で行われているはずですから、決して間違った事をしたわけではありません。しかし、JC的な考え方だけで行われた場合、認められにくい事は事実だと思います。 我々がまず考えなければいけない事は、我々はJAYCEEである以前に自らが住む地域の一住−5−民だという事です。そしてその地域には、自治会・育成会・子ども会・消防団等々その地域の住民達に よるコミュニティが数多く存在しています。まず地域の一住民としてその活動に積極的に参加し、コミュニティの一員になる事が必要ではないかと思います。そしてその活動を通し多くの人たちと言葉を交わし思いを通わせる中で、今まで自分がJCの中で当たり前に思っていた常識や価値観、考え方や取り組み方と大きな隔たりがある事に気付くはずです。今までの自分の中の常識が通用しなくなるわけですから、当然違和感を覚えると思います。しかしそれが世間の一般常識である事に気付かねばなりません。決してJCが偉いわけでも全てにおいて正しいわけでもないのです。JC云々を語る前に、まず自らが暮らす地域でその地域の方々と共に汗を流し、積極的に活動して下さい。そしてその係わり合いの中で、その場所に存在する一般常識や価値観を踏まえた上で、今まで自分がJCで培ってきた知識(理解力)・見識(判断)・胆識(実行力)を存分に発揮し、その地域のリーダー的存在として活躍していただく事を切に願っています。地域から引き出される情報や見出される意見にこそ我々が歩むべき道・目指すべき形のヒントが隠されているのですから。
【豊かなこころ】 ここ数年、マンション等の耐震強度偽装・恣意的な株価の吊り上げ・食品産地偽装・事故米の意図的な流通等、そして人が人を簡単に騙し、親が子を・子が親を殺めるという尋常ではないニュースが毎日のように聞こえてきます。金や名声を得るためなら何をやってもいい、自分さえよければ他人はどうなってもいいという拝金主義・利己主義が横行し、そこには健全な企業理念の一片も、人間としての良心のかけらも見る事はできません。 近年、日本人のこころとして「武士道」が見直されています。ここでいう「武士道」とはおそらく、「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」という一文に代表されるように、江戸期の儒教的な武士道精神を著したものだと思われます。儒教思想とは、人間の道徳的な徳目として、人としての道、守るべき徳を説いた教えであり、その中に「仁(人を思いやるこころ)・義(正義を貫くこころ)・礼(礼を尽くすこころ)・智(知識・知恵を磨くこころ)・信(人を信じるこころ)」、いわゆる「五常の徳」が説かれています。ここで宗教的な話をするつもりはありませんが、宗教云々よりもこれらは全て人間として持ち合わせていなければいけない当り前のこころだと思います。そしてこのこころを持ち合わせていれば、自ずからその行動も決まっていくのだと思いますが、残念な事に当り前の事が当たり前でない世の中になってしまったが故に、前述のような事件が頻発してしまう結果となってしまったのではないかと思います。 「国を変える」・「社会を変える」事は簡単な事ではありません。しかし、我々一人一人が変わる事はできるはずです。そしてこの児島のまちで我々と係わりをもつ人々、特に小・中・高校生に対し、豊かなこころを育ててもらえるような事業をしていかなければならないと思います。JAYCEEがJCを変え、JCが地域を変え、地域がまちを変えていく、そんな構図を作ることができれば、必ずこの国を、この世 の中をJCが変えていく事ができるはずです。
【従流志不変】 従流志不変(ながれにしたがえど、こころざしはかえず)。この言葉は、井植敏氏(元三洋電機社長)が、当時経営していたフェリー会社を整理するにあたり、思うように事が進まず行き詰まった際に、京都紫野に総本山を置く大徳寺の立花大亀老師から送られたものです。「難関を前に立ち往生した時は思い切って流れに身をゆだねなさい。ただ、いったん立てた志は忘れてはいけません」という意味の言葉ですが、この混迷を極める社会情勢の中で、JAYCEEとしてもJCとしても行うべき行動、進むべき道に迷いが生じているような気がしてなりません。しかし、JAYCEEとしての誇りやプライド、一度立てた志を捨てるべきでは決してありません。世情を見極め、時流に沿い従う事も必要であろうと思います。しかしその流れに迎合し流されるのではなく、やはりそこには‘JCらしさ’という要素は必要不可欠なものとして持っておかなければならないと思います。 JAYCEEがJAYCEEで、JCがJCであり続けるために、世情を鑑み変えるべきものは勇気と総意をもって変革し、変えてはならないものはJCのプライドを掛けて断固として守り抜くという柔剛併せ持った運営をしていかなければならないと考えています。
【おわりに】 「私にとってJCはすべてではない。しかし、JCなしに今の私はいない。」 安里繁信会頭の会頭所信の冒頭にはこう記されています。もちろんJCがすべてという人はいないと思いますし、JAYCEEにとってJCがすべてであってはならないと思います。家族・会社はもちろんですが、自分の暮らす地域やそこにあるコミュニティ、そしてその場所で行われる祭りや運動会や清掃活動等、JC以外にも大切にしなければならないものはたくさんあります。場合によってはJCよりも優先して考えなければならない事象もあると思います。同じLOMメンバーでもJCに対する価値観は様々です。一人一人の価値観やスタンスを尊重し、地域活動を優先しなければならない場合はそれで構わないと思います。但し、その地域活動においてもJCのプライドを持って、しっかり活躍していただきたいと思います。 2009年度はメンバー一人一人がしっかりと地域に密着し、そこからの声や意見に‘JCらしさ’をブレンドし、本当の意味でまちから、時代から必要とされる団体となる事を目指し、活動していきたいと思っています。
(社)児島青年会議所2009年 理事長プロフィール
氏名(ふりがな) | 難波靖人(なんばやすひと) | 生年月 | 昭和44年7月 | 勤務先・役 職 | 三和総業(株)専務取締役 |
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