(社)児島青年会議所2011年 理事長所信



2011年理事長 藤井 荘大


【はじめに】
『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。』

この方丈記の冒頭にあるように世の中に不変なもの、永久に続くものはありません。どんなに栄華を極めても必ずいつかはその終わりがきます。どんなに堅個なものでもいつかは崩壊してしまいます。この世に存在するすべてのものがその生まれた瞬間から変化をはじめるのです。
スローガンに掲げた「生成発展」という言葉は、松下幸之助氏が使った言葉で「宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する」という自然の理法を表したものです。万物は流転し常に変化していきますが、その変化はただの変化ではなくすべて発展であるというのです。例えば人が生まれ死んでいくという一つの事象も人間の生成発展の姿であり、生も発展であり普通なら忌み嫌う死でさえも発展というのです。世の中の変化をすべて衰退や消滅であると捉えると、我々はそこに希望や意味を見出すことがなかなかできません。しかし、世の中の変化をただの変化ではなく発展であると捉えるならば未来に希望をもち前向きに進んでいくことができると思います。私は、この混迷する時代にあって未来に希望をもって前向きに歩んでいきたいという思いとともに、この絶えず変化する世の中で、我々自身も日々新たな挑戦をし、成長・発展していきたいという願いを込めて、この「生成発展」という言葉を2011年度児島青年会議所のスローガンに掲げたいと思います。

【児島青年会議所 55周年を迎えて】
児島青年会議所は1956年7月5日、日本で97番目の会員会議所として発足しました。1956年という年は経済白書が「もはや戦後ではない」と記述し戦後復興の終了を宣言した年であり、これ以降日本経済が大きく成長をはじめた年でもあります。児島青年会議所は、日本の高度経済成長を地域から支えるかのように、設立以降活動を広げながら会員数を増やし、1980年代後半には会員数100名に達しました。しかしながら、平成の不況期を境に徐々に会員数も減り平成22年のスタート時には39名にまで減ってしまいました。会員減少の原因はいろいろあると思います。世の中の経済の動向にも大きく影響されることでしょう。また、勧誘活動の巧拙によっても左右されることでしょう。その中で原因を我々児島青年会議所の中に見出すとすれば、私は児島青年会議所の魅力がかつてほどなくなってしまった点にあると考えます。かつては魅力があり多くの人が入会していたものが、その魅力がなくなり入会者も減ってしまったということです。
10年前、20年前と比べて地域の環境は当然変わっています。そして地域が青年会議所に期待することも当然変わってきていると思います。会員が減少している現実を考えると、かつては、高度経済成長の中で地域からの期待に答え、魅力ある団体として会員数を増やしてきていたのが、いつの間にか時代の変化に取り残されて地域からの期待に十分応えられず、魅力を失いつつあるのではないでしょうか。常に変化し続ける世の中にあって、我々は今まで以上にその変化に対応し、たとえ継続事業であっても今までと同じことをすれば良いということで終わらせず、常に新しい挑戦を試みる必要があります。また、我々青年会議所が地域から新たに期待されていることは何かを常に考え、進取の精神をもって挑戦しなければなりません。そうすれば、必ずや児島青年会議所はもっと魅力のある存在となり会員減少の問題も無くなるものと信じています。
2011年、児島青年会議所は55周年を迎えます。この周年という節目は我々の活動を検証するとてもよい機会だと思います。我々の今までの活動が時代の変化に遅れていないか、今の社会環境に合っているのか十分に検証し、そして、これからの地域に必要なものは何か、何をすれば地域のためになるのか今後の行動の指針になるようなビジョンをつくりあげていきたいと思います。

【人間力開発】
青年会議所を語るうえで欠かせない特徴のひとつに会員自身に対する人間力開発があります。もちろん青年会議所の目的は「明るい豊かな社会」をつくるという地域社会に向けられたものですが、我々会員自身も市民社会の一員であり、我々自身をよりよく開発することも青年会議所活動なのです。
私自身も青年会議所に入会以来、先輩たちから「青年会議所は学び舎」あるいは「個人の修練」という言葉をよく聞きました。そして、実際入会以来多くの人と出会い、多くの機会を与えられ本当に成長・発展させていただける場を与えられたと思います。
経済人として、地域人として、家庭人として、そしてひとりの人間として会員自身が成長していくためのチャンスは青年会議所のなかにたくさんあります。しかし、これらのチャンスを生かすには自ら能動的に行動しなければなりません。待っているだけではチャンスを生かすことはできません。そのチャンスに対して能動的に行動すると、苦しいこともあるかもしれません。辛いこともあるかもしれません。しかし、それらを乗り越えてこそ自己の成長・発展があると思います。
例えば、一家の中心となる人が生き生きとしていれば、その子どもたちも生き生きとしていきます。それと同じように、青年会議所の会員自身が市民社会の一人として、成長・発展していけば、その周辺の人々も生き生きとし、地域も明るく豊かになっていくものだと思います。明るい豊かな社会を築くことを目的とする青年会議所だからこそ、まずは会員一人ひとりが成長・発展を果たすことが大切なのです。私は、自らの成長・発展を願い挑戦し続けようとする高い志を抱き能動的に行動する会員が一人でも多く増えるよう尽力していきたいと思います。

【家族の絆】
昨今のニュースを見ていますと相変わらず多くの暗い事件が家庭で起きています。親による子への虐待をはじめ、親子の間で命を奪うという目を覆いたくなる事件も絶えません。また、最近は高齢者の所在不明問題というのも大きく浮かび上がってきました。これらはすべて親子の絆、家族間の絆が希薄化してきたことが原因だと思います。家庭の問題は本来その家庭自身に任せるべきものかもしれません。しかしながら、家庭というのは社会の構成単位の基礎であり、健全な家庭なくして健全な社会はないと思います。明るい豊かな社会をつくることを目的とする青年会議所として、家族間の絆を深めるきっかけを提供していくことは、これからの時代に求められている一つだと思います。
ここ数年来、児島青年会議所は親子で参加する清掃活動やキャンプ活動、あるいはスポーツイベント等を行ってきました。今後もこれら家族を対象にした事業を行っていきますが、そのなかで今まで以上に家族間の交流を図ることに注力し、心と心が豊かに通い合うようなきっかけを提供していきたいと思います。

【むすびに 〜児島のまちとともに生成発展〜】
我がまち児島は、明治から大正・昭和そして現在に至るまで繊維業が主要産業のひとつでありました。繊維業といってもその主要品目は時代とともに移り変わり、組ひもの生産から始まり大正時代には足袋の生産、国民の洋装化により足袋の需要が減ると学生服等へと変わっていきました。そして戦後国産ジーンズを全国に先駆け開発し、現在では国産ジーンズ発祥の地としての地位も築いています。時代とともに栄枯盛衰をくりかえしながら、郷土の先人たちが未来に希望を持って見事な挑戦をし、時代を先取った製品を作り続けてきたからこそ、児島のまちは繊維のまちとして存在し続けられたのだと思います。まさに児島の繊維業そのものが常に生成し、絶えず発展する「生成発展」と言えるでしょう。我々児島青年会議所はこの生成発展してきた児島のまちにおいて「明るい豊かな社会」を築くために、我々自身が先人達に負けぬよう明るい希望を持って、日々新たな挑戦をしていかなければなりません。そして、青年としての英知と勇気と情熱をもって生成発展の道を行き、児島のまちも我々自身も明るく豊かでありたいと思います。


(社)児島青年会議所2011年 理事長プロフィール


氏名(ふりがな)藤井 荘大(ふじい そうだい)
生年月昭和46年7月
勤務先・役 職(株)桑和 代表取締役専務




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